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菅沼孝三(すがぬま こうぞう)|ドラマープロフィール

“手数王” 菅沼孝三 Kozo Suganuma

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「手数王」— その異名は、日本のドラムシーンにおいて菅沼孝三ただ一人を指す。8歳でドラムを手にし、15歳でプロデビュー。ルーディメンツの実践的応用を日本に広く知らしめ、高速連打、スリップビート、トリックプレイで多くのドラマーの概念を根底から覆した。「菅沼孝三ドラム道場」からは坂東慧(T-SQUARE)、川口千里、平陸、シシド・カフカら次世代の才能を輩出。演奏者・教育者・エンターテイナーとして、日本のドラム文化に計り知れない足跡を残した。2021年11月8日、大腸がんのため逝去。享年62。

基本プロフィール

ドラマーとしての特徴

菅沼孝三のドラミングを一言で表すなら、「超絶技巧のエンターテインメント」だ。アメリカのマーチングやジャズの世界で体系化されたルーディメンツ(スネアドラムの基礎奏法)を、ロック・ポップスのドラムセット上で実践的かつ過激に応用する。その手法は1990年代の日本では類を見ないものだった。
高速連打だけではない。スリップビート(拍をずらして聴衆の感覚を撹乱する技法)、トリックプレイ(スティックを回したり投げたりしながら演奏を続ける技法)、変拍子の自在な操り。しかもそれらを「見せる」ことに徹底的にこだわった。ステージではディジュリドゥやパチカを操り、ヤマハの身体装着型電子楽器「Miburi」やホーミー(モンゴルの倍音唱法)まで披露する。菅沼孝三のライブは、ドラムクリニックであると同時にショーだった。

生い立ちとドラムとの出会い

1959年10月25日、大阪に生まれる。8歳でドラムを始め、ジャズドラマーの河瀬勝彦に師事。15歳でプロデビューという早熟ぶりだった。
若くしてプロの世界に入った菅沼は、スタジオワークやツアーサポートを重ねながら、独自のテクニカルスタイルを磨いていく。1977年にはヤマハドラマーズチャンピオンシップで審査員特別賞を受賞。88ロックデイ ベストドラマー賞、A-ROCKコンテスト ベストドラマー賞も獲得し、テクニカルドラマーとしての評価を確立していった。

キャリア年表

「手数王」の原点 — 1992年、一本のVHS

1992年1月30日、リットーミュージックから一本のVHSがリリースされた。
タイトルは、そのまま 「手数王」
この教則ビデオこそが、後に日本のドラムシーンを変えることになる「手数王」伝説の始まりだった。
当時、日本のロック系ドラマーの多くは「パワードラム」の系譜に夢中だった。ジャズや吹奏楽の世界で体系化されていたルーディメンツを、ドラムセットにどう応用するのか — そんな発想自体が、まだ広くは存在していなかった。
アメリカで脈々と受け継がれてきたスネアドラムの基礎技術。それをロックやポップスのドラムセット上で「超絶技巧」として昇華し、映像を通じて日本のドラマーの眼前に突きつけたのが、このVHSだった。
菅沼孝三は、ルーディメンツの実践的かつ過激な応用を日本に広く知らしめた最大の功労者である。高速連打、スリップビート、トリックプレイ。その圧倒的なテクニックは、パワーやフィーリングだけがドラムだと思っていた多くのドラマーの概念を根底から覆した。
Drummer JAPAN 主宰の横井も、このVHSで菅沼孝三と出会った一人だ。当時はコージー・パウエルに夢中で、パワードラムしか知らない世界にいた。あの日、VHSが届けたのは単なるテクニックではない。「ドラムにはまだ自分の知らない世界がある」という、強烈なパラダイムシフトだった。
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主な参加アーティスト・バンド

菅沼孝三のキャリアは、スタジオワークとライブサポートの両面で驚異的な広さを持つ。特にCHAGE&ASKAのサポートドラマーとしてBLACK EYESのメンバーを12年間務めた経歴は、テクニカルドラマーとしてだけでなくポップスの現場での信頼の厚さを物語る。
海外アーティストとの共演も数多い。デイヴ・ウエックル、デヴィッド・ガリバルディ、ビリー・コブハム、ジェリー・ブラウン、サイモン・フィリップスらと共演を果たしている。

FRAGILE

菅沼孝三の自己バンドとして最も長く活動したのがFRAGILE(フラジール)だ。ギタリスト矢堀孝一、ベーシスト水野正敏とのトリオで、高度なテクニックと音楽性を兼ね備えたインストゥルメンタル・フュージョンを展開した。

ドラムソロ

菅沼孝三ドラム道場

1991年、菅沼孝三は渋谷にドラム道場を開校する。1998年にはたまプラーザに本校を移転。以後、全国に展開し、大阪校、名古屋校、金沢校、兵庫校、福岡校など6箇所以上の拠点を持つまでに成長した。
大学講師としても、昭和音楽大学やメーザーハウス(現メーザー・ミュージック&アーツ)、キャットミュージックカレッジで教鞭を執った。
道場の門下生からは、プロシーンで活躍するドラマーが数多く輩出されている。
2007年6月5日に、ドラム道場 たまプラーザ本校を見学に行きました。直接菅沼さんから教わることが出来るグループレッスンがあります。
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休符から始まるトリッキーなリズム。どうやって練習していけば良いのか?
つづく

菅沼孝三ドラム道場コンサート 2008

2008.8.10に行われた「菅沼孝三ドラム道場コンサート」でエンディングを飾った圧巻のソロ。スリリングなドラミングをお楽しみください。

使用機材

菅沼孝三は1982年からTAMAのエンドースドラマーとして活動し、1990年にYAMAHAへ移籍。以後、生涯にわたりYAMAHAドラムスを使用した。シンバル・スティックはZildjianのエンドーサーで、シグネチャーモデルも発売された。

演奏哲学

菅沼孝三は技巧派でありながら、テクニック至上主義ではなかった。ENCOUNTのインタビューでは、こう語っている。
まず何が必要なのかを考える。その中で『やっぱり菅沼の音が欲しい、フレーズが欲しい』って言ってもらえるようなドラマーになりたい
「手数王」の名が一人歩きするほどの超絶技巧を持ちながら、現場で求められるのは何かを常に考え続けた。その姿勢が、CHAGE&ASKAやASKAのステージで12年以上、さらにソロツアーでも起用され続けた理由だろう。テクニックは手段であって目的ではない — 菅沼孝三のドラミングは、その哲学を体現していた。

追悼

2021年9月12日、金沢ジャズストリートが最後のステージとなった。同月26日にInstagramで活動休止を発表。大腸がんステージ4と闘っていたことが明かされた。
2021年11月8日、逝去。享年62。
Facebookは追悼アカウントとなり、Instagramには今もその投稿が残されている。「手数王」の教えは、道場から巣立った門下生たち — 坂東慧、川口千里、平陸、SATOKO、シシド・カフカ、今井義頼 — を通じて、日本のドラムシーンに脈々と受け継がれている。
最終確認:2026-04-19

このページはDrummer JAPANが独自に制作したドラマーアーカイブです。情報は随時更新します。

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