猪俣猛|ドラマー名鑑
日本ジャズドラム界の巨星。14歳で抱いた「カーネギーホールで叩く」という夢を、60代にして自らの手で実現した男。 宝塚歌劇団のオーボエ奏者を父に持ち、音楽の血脈のなかで育った猪俣猛は、ジーン・クルーパの一枚のレコードに打たれてドラムの道を志した。16歳でプロデビュー、21歳でスイング・ジャーナル新人賞。以後半世紀以上にわたり演奏・教育・バンドリーダーとして日本のドラムシーンを牽引し続けた。ブラシワークの名手として、テレビ番組「11PM」のテーマ曲でその音を全国の茶の間に届けた。後進育成機関「R.C.C.ドラムスクール」を設立し、数え切れないドラマーを世に送り出した。2024年10月4日、老衰のため88歳で逝去。「歌心」を説き続けたその生涯は、日本のドラム史そのものである。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 猪俣 猛(いのまた たけし) |
| 生年月日 | 1936年2月6日 |
| 没年月日 | 2024年10月4日(88歳没・老衰) |
| 出身 | 兵庫県宝塚市 |
| 家族 | 父:宝塚歌劇団オーボエ奏者/兄:トランペッター |
| 主なバンド | ウエストライナーズ、サウンド・リミテッド、ザ・サード・フォース、ジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズ、シンフォニック・ジャズ・オーケストラ |
| 教育機関 | R.C.C.ドラムスクール 代表取締役 |
| 肩書 | 大阪芸術大学客員教授、NHK文化センター上級講師、日本音楽家協会専務理事 |
ドラムとの出会い
宝塚歌劇団のオーケストラでオーボエを吹く父と、トランペッターの兄。猪俣猛は生まれながらにして音楽が日常にある家庭で育った。★★★(RCC公式サイト・Drummer JAPAN公式ページ)
運命の転機は14歳のときに訪れる。ベニー・グッドマン楽団のカーネギーホール実況録音——1938年の伝説的なライブ盤——を耳にしたとき、そこで炸裂するジーン・クルーパのドラミングに全身を貫かれた。★★★(RCC公式サイト)
「プロになって、カーネギーホールで叩く」
14歳の少年はその日、途方もなく具体的な夢を持った。これは漠然とした憧れではなかった。「カーネギーホール」という固有名詞を伴った、地図上に座標を持つ夢だった。
最初に手にしたドラムは、大阪の楽器店で購入した「Kroupa」製のスネアドラム。★★★(RCC公式サイト) ジーン・クルーパ(Gene Krupa)の名を冠したブランドのスネアを、少年が大阪で手に入れたというこのエピソードは、猪俣猛の人生の始まりにふさわしい象徴性を持っている。
活動の転機
16歳・プロデビュー
猪俣は16歳という若さでプロドラマーとしてのキャリアをスタートさせた。★★★(RCC公式サイト) 戦後の関西ジャズシーンが活気づく時代、宝塚という音楽の街で育った少年は、早くからプロの現場に飛び込んだ。
20歳・上京
20歳で東京へ拠点を移す。★★★(RCC公式サイト) 関西から東京へ——この移動は単なる転居ではなく、日本のジャズの中心地で勝負するという決意の表明だった。
21歳・スイング・ジャーナル新人賞
上京からわずか1年、スイング・ジャーナル誌の新人賞を受賞。★★★(RCC公式サイト) 当時の日本ジャズ界において、この賞は若手ミュージシャンにとって最も権威ある登竜門のひとつであった。猪俣猛の名は一気に全国に知れ渡ることとなる。
バンドリーダーとしての歩み
以後、猪俣は単なるサイドマンにとどまらず、自らバンドを率いる道を選び続けた。ウエストライナーズ、サウンド・リミテッド、ザ・サード・フォースと、時代ごとに編成やコンセプトを変えながら複数のバンドのリーダーを歴任。★★★(RCC公式サイト・Drummer JAPAN公式ページ) ドラマーでありながらバンドの方向性を自ら決定し、音楽を構築する——猪俣の活動は常に「リーダーシップ」と不可分であった。
ドラマーとしての特徴
ブラシワークの名手
猪俣猛の代名詞といえば、なんといってもブラシワークである。スティックではなくワイヤーブラシでスネアドラムのヘッドを撫で、擦り、叩く——その繊細かつダイナミックな表現力は、日本のジャズドラマーの中でも突出していた。★★★(Drummer JAPAN公式ページ・RCC公式サイト)
フジテレビ系の深夜番組「11PM」のテーマ曲では、猪俣のブラシ演奏が使用された。★★★(RCC公式サイト) 1960年代から80年代にかけて放送されたこの番組を通じて、猪俣のブラシの音は「ジャズファン」の枠を超え、一般の視聴者の耳にも届いた。多くの日本人が意識せずに猪俣猛の演奏を聴いていたことになる。
「歌心」への執念
ドラムマガジン誌2015年12月号(通巻300号)のインタビューで、猪俣は若いドラマーたちに向けてこう語っている。★★(ドラムマガジン)
「みんなうまいよ、それは間違いない。でも惜しいことに歌心が欠けているんだ」
テクニックの優劣ではなく、「歌っているかどうか」。ドラムという楽器がリズムとビートだけの存在ではなく、メロディを語り、歌を紡ぐ楽器であるという信念——それが猪俣猛のドラム哲学の核心であった。
キャリア年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1936年 | 兵庫県宝塚市に生まれる。父は宝塚歌劇団オーボエ奏者 |
| 1950年頃 | 14歳、ベニー・グッドマン楽団のカーネギーホール実況録音でジーン・クルーパのドラミングに衝撃を受ける |
| 1952年頃 | 16歳、プロドラマーとしてデビュー |
| 1956年頃 | 20歳、上京 |
| 1957年頃 | 21歳、スイング・ジャーナル誌新人賞受賞 |
| 年代不詳 | ウエストライナーズ、サウンド・リミテッド、ザ・サード・フォース等のバンドリーダーを歴任 |
| 1976年 | 後進育成のためリズム・クリニック・センター(R.C.C.)を設立、代表取締役に就任 |
| 1994年 | ジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズを率いてニューヨーク公演。カーネギーホール、アポロシアターで演奏 |
| 1995年 | スイング・ジャーナル誌 南里文雄賞(第20回・1995年)★★★(スイング・ジャーナル社主催/日本ジャズ界最高栄誉賞)受賞 |
| 1996年 | 著書『カーネギーへの道』出版 |
| 1997年 | シンフォニック・ジャズ・オーケストラ設立 |
| 2009年 | 音楽生活60周年記念コンサートをサントリーホールで開催 |
| 2017年 | 文化庁長官表彰受賞 |
| 2024年10月4日 | 老衰のため逝去。享年88歳 |
※年表中「頃」の表記は、「14歳でデビュー」「20歳で上京」等の年齢ベース情報から生年(1936年)を基に算出したもの。正確な年月日は未確認。
ターニングポイント
44年越しの夢——カーネギーホール、1994年
14歳で「プロになってカーネギーホールで叩く」と誓った少年は、44年の歳月を経て、その夢を自分自身の手で実現する。
1994年、猪俣猛は自ら率いるジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズでニューヨーク公演を敢行。カーネギーホールとアポロシアターのステージに立ち、大喝采を浴びた。★★★(RCC公式サイト・Drummer JAPAN公式ページ)
この公演が持つ意味は、単に「海外公演を成功させた」という事実にとどまらない。猪俣が14歳で聴いたあのレコード——ベニー・グッドマン楽団の「カーネギーホール実況録音」——が録音されたまさにその場所で、日本人ドラマーとして演奏したのである。人生がひとつの円環を描いて閉じる瞬間だった。
翌1996年に出版された著書のタイトルが『カーネギーへの道』であることが、このエピソードが猪俣自身にとってどれほどの意味を持っていたかを物語っている。
R.C.C.設立——「叩く人」から「育てる人」へ
1976年、猪俣は40歳にしてリズム・クリニック・センター(R.C.C.)を設立する。★★★(RCC公式サイト)
自らがトッププレイヤーとして第一線に立ちながら、同時にドラム教育の体系化に乗り出したこの決断は、もうひとつのターニングポイントである。R.C.C.は以後数十年にわたり、日本のドラム教育における重要な拠点として機能し、数多くのドラマーを輩出し続けた。
使用機材
ドラムキット
| メーカー | モデル | 信頼度 | 出典 |
|---|---|---|---|
| YAMAHA | エクスクルーシブモニター | ★★★ | Drummer JAPAN公式ページ・RCC公式サイト |
シンバル
| メーカー | 備考 | 信頼度 | 出典 |
|---|---|---|---|
| Zildjian | コントラクトモニター | ★★★ | Drummer JAPAN公式ページ・RCC公式サイト |
スティック
| メーカー | 備考 | 信頼度 | 出典 |
|---|---|---|---|
| ProMark | コントラクトモニター | ★★★ | Drummer JAPAN公式ページ・RCC公式サイト |
スネア / ヘッド / その他
未確認(要調査)。具体的なスネアモデル、ヘッドメーカー等の詳細情報は一次情報で確認できず。
主な参加プロジェクト・作品
バンド / ユニット
- ウエストライナーズ(リーダー)
- サウンド・リミテッド(リーダー)
- ザ・サード・フォース(リーダー)
- ジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズ(リーダー)
- シンフォニック・ジャズ・オーケストラ(1997年設立・リーダー)
著書
- 『カーネギーへの道』(1996年)
- 『ザ・ジャズ・ドラム』(リットーミュージック)
- 『ドラム・メソード』
テレビ
- フジテレビ系「11PM」テーマ曲(ブラシ演奏)
※ディスコグラフィの詳細(参加アルバム・録音年等)は一次情報から網羅的に確認できていないため、今後追記予定。
影響を受けたドラマー・音楽
| 対象 | 詳細 | 信頼度 |
|---|---|---|
| ジーン・クルーパ(Gene Krupa) | ベニー・グッドマン楽団カーネギーホール実況録音でのドラミングに14歳で衝撃を受け、プロを志すきっかけとなった | ★★★(RCC公式サイト) |
※その他の影響源(好きなミュージシャン・聴いていた音楽等)については一次情報で確認できず。
エピソード
最初のスネアが「Kroupa」だった
ドラムを志すきっかけとなったジーン・クルーパ。そして最初に手にしたスネアドラムのブランドが「Kroupa」——クルーパの名を冠した(あるいはそれに由来すると思われる)メーカーだった。14歳の少年が大阪の楽器店で、憧れの人の名前がついた楽器を手にした瞬間を想像すると、ドラマーならずとも胸が熱くなる。★★★(RCC公式サイト)
「11PM」で日本中にブラシの音を届けた
ジャズクラブではなく、テレビの深夜番組のテーマ曲。猪俣のブラシワークは「ジャズを聴きに行く人」だけでなく、何気なくテレビをつけた視聴者の耳にも自然に届いた。日本で最もブラシの音を「大衆に届けた」ドラマーと言っても過言ではない。★★★(RCC公式サイト)
2009年・サントリーホールで60周年
音楽生活60周年を記念するコンサートの会場に選ばれたのは、サントリーホール。クラシック音楽の殿堂で自らのジャズ人生を祝う——カーネギーホールで夢を果たした男にとって、これは必然の選択だったのかもしれない。★★★(RCC公式サイト)
Drummer JAPAN 人気投票2025 での扱い
投票順位・得票数に関する情報は補足データに記載なし。今後確認次第追記する。
※猪俣猛は2024年10月4日に逝去しており、2025年の人気投票はメモリアル的な意味合いを含む可能性がある。
所属バンド/所属変遷
| 時期 | バンド / 活動 | 役割 | 最終確認日 |
|---|---|---|---|
| 1952年頃〜 | プロデビュー(詳細バンド名未確認) | ドラマー | — |
| 時期未確認 | ウエストライナーズ | リーダー | 2025年1月(RCC公式サイト) |
| 時期未確認 | サウンド・リミテッド | リーダー | 2025年1月(RCC公式サイト) |
| 時期未確認 | ザ・サード・フォース | リーダー | 2025年1月(RCC公式サイト) |
| 1994年 | ジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズ | リーダー | 2025年1月(RCC公式サイト) |
| 1997年〜 | シンフォニック・ジャズ・オーケストラ | 設立・リーダー | 2025年1月(RCC公式サイト) |
| 1976年〜2024年 | R.C.C.ドラムスクール | 代表取締役 | 2025年1月(RCC公式サイト) |
編集部より
猪俣猛という人を書くにあたって、最も大事にしたかったのは「夢に座標があった」ということだ。
14歳の少年が「ドラマーになりたい」と言ったのではない。「カーネギーホールで叩きたい」と言ったのだ。その夢には固有名詞があり、住所があり、ステージがあった。そしてその夢は、44年後に現実となった。
ドラマー名鑑としてこの記事を書く意義は、猪俣猛のキャリアが「日本ジャズドラム史の教科書」であるという歴史的な重要性だけにとどまらない。14歳でスネアを買った少年が、60代でカーネギーのステージに立つまでの物語——その途方もない距離と時間のなかで、一度も夢を手放さなかったという事実こそが、すべてのドラマーに伝えるべきことだと考える。
「みんなうまいよ。でも歌心が欠けているんだ」
この言葉は、もはや遺言と呼んでもいいかもしれない。テクニックを超えた何かを求め続けた88年の生涯。Drummer JAPANは、猪俣猛という名前を、敬意と感謝をもって記録に残す。
出典
| ラベル | ソース | URL / 備考 |
|---|---|---|
| ★★★ | Drummer JAPAN 公式ページ | www.drummerjapan.com/猪俣-猛/ |
| ★★★ | RCC公式サイト(プロフィール・バイオグラフィ) | rcc-ds.wixsite.com/inosan/biography |
| ★★ | ドラムマガジン 2015年12月号(通巻300号)インタビュー | リットーミュージック刊 |
| ★★ | ドラムマガジンWeb 訃報記事 | drummagazine.jp(2024年10月) |
今後追記予定の欠損情報
| 項目 | 状況 |
|---|---|
| 【ディスコグラフィ詳細】 | 未確認(参加アルバム・録音年の網羅的リストが一次情報から取得できず) |
| 【各バンドの活動時期】 | 未確認(ウエストライナーズ、サウンド・リミテッド、ザ・サード・フォースの結成年・活動期間が特定できず) |
| 【スネア・ヘッド等の詳細機材】 | 未確認(YAMAHAエクスクルーシブモニターの具体的構成・スネアモデル・ヘッドメーカー等の詳細は一次情報になし) |
| 【影響を受けたドラマー(クルーパ以外)】 | 未確認(一次情報に記載なし) |
| 【R.C.C.輩出ドラマー一覧】 | 未確認(主要な門下生のリストが公式情報で網羅的に確認できず) |
| 【南里文雄賞の正式名称確認】 | 要確認(補足情報では「難波利三賞」と記載されているが、スイング・ジャーナル誌の代表的なジャズ賞は「南里文雄賞」。正確な受賞名の確認が必要) |
| 【人気投票2025の順位・得票数】 | 未確認(補足情報に数値記載なし) |
| 【ターニングポイントにおける挫折・葛藤の具体的エピソード】 | 未確認(夢の実現は確認できるが、途中の困難・壁に関する一次情報での言及は取得できず) |
最終確認:2026-04-19
このページはDrummer JAPANが独自に制作したドラマーアーカイブです。情報は随時更新します。