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酒井まろ(さかい まろ)| ドラマー名鑑 | Drummer JAPAN

【訃報】酒井 麿 氏のご逝去を悼んで

ドラマーの酒井 麿(さかい まろ)氏が、2026年6月27日に急逝されました(享年61歳)。

ロックバンド「BEE PUBLIC」でのデビューを皮切りに、吉川晃司氏やZARDなどの名だたるアーティストを支え続けたサポートワーク、即興リズムの可能性を広げたドラムサークルの主宰、そして晩年の伝統邦楽である三味線都々逸の伝承活動など、生涯を通してリズムと打楽器の魅力を伝え続けてくださいました。

これまでの多大なご貢献に深く敬意を表しますとともに、編集部一同、心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

— Drummer JAPAN
酒井 麿(さかい まろ、別名:酒井まろ、三味線都々逸アーティスト「酒屋まろ吉」)は、1986年にロックバンド「BEE PUBLIC」でデビューし、吉川晃司やZARD、山崎まさよし等の数多くの著名アーティストを支え続けたドラマー、パーカッショニスト、プロデューサー。擦る・叩く・弾く・転がすといった即興演奏を軸とするドラミングから、打楽器アンサンブルイベント「JBドラムサークル」の主宰、三味線都々逸(どどいつ)アーティストとしての伝統芸能活動まで、多方面でリズムの可能性を追求した。2026年6月27日、急性冠症候群のため61歳で急逝したが、その先駆的なリズムファシリテーションと音楽への情熱は今なお高く評価されている。
酒井 麿 プロフィール
メインプロフィール写真(2009年公開)

基本プロフィール

氏名
酒井 麿(さかい まろ / 本名:酒井 麿)
生年月日
1965年4月15日(没年月日:2026年6月27日、61歳没)
出身
広島県呉市(晩年は広島県福山市在住)
担当
ドラムス、パーカッション、プロデュース、三味線、都々逸
主な所属バンド
BEE PUBLIC、SUNNY CRUISER、splash garden、MARIMARI
エンドーサー
ASPR(ドラムヘッド)
公式サイト

ドラマーとしての特徴

即興性とパーカッシブなアプローチ

酒井 麿のドラミングは、単に一定のビートをキープするリズムキープとしてのドラムにとどまらず、「擦る・叩く・弾く・転がす」といった即興演奏を軸に、あらゆる打楽器の音色を引き出すパーカッシブなアプローチを特徴とする。

リズムファシリテーション

打楽器アンサンブルとしての世界観を追求し、ドラムをコミュニケーションの道具として捉えていた。その思想は、後述のドラムサークル活動や教育活動にも直接結びついている。

高い基礎技術とダイナミクス

16歳で日本屈指のドラマー・村上“PONTA”秀一氏に弟子入りして培った確かな基礎技術を持ち、繊細なピアニシモから豪快なフォルテシモまで広いダイナミクスレンジを自在にコントロールした。

キャリア年表

1981年
16歳でドラマーの村上“PONTA”秀一氏に師事。地元・広島で「Eight City’s Fish Band」(別名:ハマチばんど)を結成し、修道中学校・高等学校の同級生であり水球部のチームメイトだった吉川晃司らと音楽活動を行う。
1986年
大手事務所「研音」が主催したオーディションから誕生したロックバンド「BEE PUBLIC」のドラマー兼ボーカリストとしてメジャーデビュー。TBS系ドラマ『夏・体験物語2』の挿入歌「お前にハート・ビート」が話題となり、『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」などに出演。
1988年
BEE PUBLIC解散。以降、サポートドラマーとして多数 of トップアーティストのレコーディングやライブに参加。吉川晃司の作品ではドラム演奏のみならずシングル・アルバムのプログラミングも手掛ける。
1998年
原田喧太(Vo/Gt)、小池ヒロミチ(Ba)とロックバンド「SUNNY CRUISER」を結成し、ドラムとコーラスを担当。
2000年
林海象監督のドキュメンタリータッチ映画『LOST ANGELS』にSUNNY CRUISERのメンバー全員が本人役で出演。同年、バンド活動を休止。
2001年
ヴォーカルユニット「MARBLETEARS」を結成。プロデュース、作曲、アレンジを担当する(2004年活動休止)。
2002年
サザンオールスターズのドラマー・松田弘氏が主催する「BEAT CLUB」に参加。DJやダンサーとのセッション、マーチングドラムや打楽器を用いた多種多様なパフォーマンスを展開。
2005年
パーカッションを用いた参加型即興ライブイベント「JungleBeerドラムサークル」(のちに「JBドラムサークル」に改称)を主宰・開始。
2008年
ラテンハウスユニット「splash garden」を結成。都内のクラブシーンを中心に精力的にライブ活動を行う。
2011年
広島県福山市に移住。これを機に、亡き祖母の形見であった三味線を引き継ぎ、三味線および都々逸(どどいつ)の弾き唄いアーティスト「酒屋まろ吉」としての活動を開始。
2022年
超ハイテクFUNKバンド「MARIMARI」を結成し、ドラマーとして全国でライブ活動を展開。
2026年6月27日
午前3時頃、急性冠症候群のため死去(享年61歳)。訃報は翌28日、元BEE PUBLICの盟友である丸山正剛氏らによって公式に伝えられた。

過去のイベント・ドラムクリニック写真

ドラムクリニック 1
ドラムクリニック関連写真(2009年撮影)
ドラムクリニック 2
ドラムクリニック告知(2009年公開)
ドラムクリニック 3
ドラムクリニック告知・テキスト(2009年公開)

【追悼】「BE MY BABY」演奏・解説映像

2026年6月27日に急逝されたドラマー・酒井麿さんを追悼し、生前に公開された貴重な演奏・解説映像(2009年)を掲載いたします。

動画説明文より抜粋:

2026年6月27日、ドラマー・酒井麿さんが急逝されました。享年61。この動画は、酒井さんご自身がCOMPLEX「BE MY BABY」を叩き、自ら解説されたものです。

COMPLEXの吉川晃司さんは、広島・修道中学からの同級生であり、プロ入り後も長年支え続けた生涯の盟友。その盟友の曲を、こんなに楽しそうに叩いて、語る。酒井さんというドラマーの温度が、この10分に詰まっています。

使用機材

特定のメーカーとの専属エンドース関係による固定キットの公表はされておらず、ライブハウスやレコーディングスタジオの現場環境やプロジェクトの方向性に合わせて、PearlやYamaha、TAMAなどのドラムセットを臨機応変に選択して使用していた。
  • ドラムヘッド:ASPR(アサプラ)。国産ドラムヘッドメーカーであるASPRのエンドーサーとして公式登録されており、スネアやタムなどのヘッドにASPR製品を愛用していた。
  • パーカッション:ジェンベやカホン、マーチング用のスネアドラムなど、セットドラム以外の打楽器も多数使用。
  • 三味線:祖母の形見であった「細棹三味線」を使用。「酒屋まろ吉」名義での都々逸の弾き唄いの際に用いられた。

セッションワーク

サポートドラマーとして、ライブ演奏やレコーディングに参加した主なアーティスト。
  • 吉川晃司(ライブ・レコーディングサポート、プログラミング)
  • ZARD(ライブ・レコーディングサポート)
  • 江口洋介(ライブ・レコーディングサポート)
  • 山崎まさよし(ライブ・レコーディングサポート)
  • 大澤誉志幸(ライブサポート)
  • 山下久美子(ライブサポート)
  • 佐藤浩市(ライブサポート)
  • 白井貴子本田恭章広石武彦原田喧太KYO東儀英樹松井常松松ヶ下宏之

教育活動・その他のアプローチ

大学・スクール等での活動

京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映像音楽科にて講師を務め、映像における音楽効果や実践的なリズム・打楽器の理論を学生に指導。また一般向けのドラムレッスンや、ジェンベを用いたワークショップも主宰した。

ドラムサークル・ファシリテーター

2005年より、パーカッションを用いた即興的参加型ライブイベント「JBドラムサークル」を主宰。ドラムサークルファシリテーター協会(DCFA)の「Stimulative Facilitator」として活動し、横浜「楽器フェア」の野外ドラムサークルでファシリテーターを歴任。六本木ヒルズや文化放送などの大舞台でのイベントを成功させた。

プロデュース・作曲実績

ヴォーカルユニット「MARBLETEARS」やラテンハウスユニット「splash garden」において、ドラム演奏のみならず作曲、アレンジ、トータルプロデュースを担当した。

影響を受けた音楽/ドラマー

村上“PONTA”秀一

16歳の時に村上“PONTA”秀一氏に師事したことが、酒井 麿のプロドラマーとしての最大の原点である。ビートの捉え方やセッションにおけるドラマーの役割、音楽に対する真摯な姿勢など、多大な影響を受け続けた。

ロック/セッションドラマーとしての位置づけ

酒井 麿は、1980年代半ばのバンドブーム黎明期にメジャーデビューを果たし、日本のロック・ポップスシーンの黄金期を裏方(サポートドラマーおよびプログラマー)として支え続けた実力派ドラマーである。

彼の活動における特筆すべき点は、単に他者のバックバンドを務めるにとどまらず、リズムを主軸とした多角的な表現やコミュニケーションの可能性を模索し続けたことにある。「ドラムサークル」による一般市民を巻き込んだ音楽コミュニティの創出や、伝統邦楽である「三味線都々逸」を洋楽ドラマーの視点から咀嚼し自ら演者となる活動など、既存のドラマーの枠に収まらない先駆的な足跡を多く残した。

エピソード

吉川晃司との深い盟友関係 ★★★

修道中学校・高等学校の同級生であり、ともに水球部で活動した仲。地元・広島時代に吉川がボーカル、酒井がドラムを務める「Eight City’s Fish Band」(ハマチばんど)を結成して音楽活動を始めた。プロ入り後も吉川のサポートドラマーを長年務め、プログラミング作業も手掛けるなど、公私にわたり生涯の友であった。

村上“PONTA”秀一への師事 ★★★

16歳で日本屈指のドラマー・村上“PONTA”秀一氏に弟子入り。ローディー(付き人)としてツアーを回りながらプロの現場を肌で学び、ドラミングの基礎から音楽表現の神髄までを吸収した。

SUNNY CRUISERと映画『LOST ANGELS』への出演 ★★★

1998年に原田喧太、小池ヒロミチと結成したSUNNY CRUISERでは、林海象監督が手がけたドキュメンタリータッチ映画『LOST ANGELS』(2000年公開)にメンバー全員が実名で出演した。アメリカ進出を夢見るバンドのリアルな姿がフィルムに記録されている。

三味線都々逸「酒屋まろ吉」としての伝統芸能活動 ★★★

2011年の広島県福山市への移住をきっかけに、亡き祖母の形見であった細棹三味線を引き継いで独学で都々逸を習得。以降、全国各地のお座敷やライブハウスにて「酒屋まろ吉」名義で弾き唄いライブを行い、江戸情緒を伝える都々逸の保存と独自のポップス的解釈に情熱を注いだ。

中野「UP-BEAT」の隠れマスター ★★★

月曜日と木曜日の夜には、東京・中野にあるバー「UP-BEAT」の隠れマスターに変身。夜な夜な多くの音楽仲間や常連客が集う秘密基地のような憩いの空間となっており、多くの人から慕われていた。

Drummer JAPAN 人気投票2025 での扱い

2025年の人気投票においては得票数上位には入っていないが、これは本人の実力やシーンへの貢献度の低さを示すものではなく、現在の投票層(アイドルファン主体)のバイアスによるものである。ロックバンド「BEE PUBLIC」での功績、ZARDや吉川晃司などのサポート実績、そしてドラムサークルや都々逸を通じた日本独自の音楽文化への貢献度を鑑みれば、名鑑に永続的に記録されるべき極めて重要なドラマーである。

所属バンド/所属変遷

期間 所属/活動形態 備考
1981年〜1985年 Eight City’s Fish Band(ハマチばんど) 吉川晃司らと結成した広島時代のバンド
1986年〜1988年 BEE PUBLIC(ドラムス・ボーカル) 研音よりメジャーデビュー。1988年解散
1989年〜 サポートドラマー、プロデュース活動 吉川晃司、ZARD、江口洋介、山崎まさよし等のサポート
1998年〜2000年 SUNNY CRUISER(ドラムス) 原田喧太、小池ヒロミチと結成。2000年活動休止
2001年〜2004年 MARBLETEARS(プロデューサー・作曲) ヴォーカルユニット。2004年活動休止
2002年〜2026年 BEAT CLUB(ドラマー・パフォーマー) 松田弘(サザンオールスターズ)主催
2005年〜2026年 JBドラムサークル(主宰・ファシリテーター) 都内を中心にリズムワークショップを定期開催
2008年〜2026年 splash garden(プロデューサー・ドラマー) ラテンハウスユニット
2011年〜2026年 酒屋まろ吉(三味線都々逸アーティスト) 福山移住を機に活動開始。全国のお座敷で弾き唄い
2011年〜2026年 福山コトノネプロジェクト 市政100周年記念式典などに出演
2022年〜2026年 MARIMARI(ドラマー) 超ハイテクFUNKバンド。全国ライブ展開
最終確認:2026-07-02

Drummer JAPAN 関連ページへのリンク

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一言紹介

ロック、サポートワークからドラムサークル、三味線都々逸まで、打楽器とリズムの魅力を生涯追求し続けた多才なドラマー。

出典

今後追記予定の欠損情報

  • 【使用機材(ドラム・スネア・シンバル)の型番・詳細】:[探索済み・未取得] 過去のライブやレコーディングで使用されていたドラムセットの具体的なウッド素材、スネアドラムのシェル型番、シンバルの詳細モデル名(Zildjian、SABIAN等のサイズやシリーズ)については、一次情報(本人発言・機材紹介写真等)で特定できる十分なソースが確認できなかったため、今後の情報収集課題とする。

このページはDrummer JAPANが独自に制作したドラマーアーカイブです。情報は随時更新します。

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