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則竹裕之|ドラマー名鑑

則竹裕之|ドラマー名鑑

父がジャズドラマー——その家に生まれた少年は、しかし中学ではサッカーボールを追い、茶道の所作を学んでいた。ドラムを本格的に握ったのは高校時代。そこからわずか数年で、日本フュージョン界の最高峰T-SQUAREの正ドラマーとなる。河口湖でCASIOPEAの神保彰のキットに座り「ASAYAKE」を叩いた高校3年の夏。その一打が、日本のフュージョンドラム史を動かした。在籍15年、日本ゴールドディスク大賞JAZZ部門10度受賞。還暦を迎えてなお「己の可能性を信じたい」と語り、28年ぶりにPearlへ帰還した男。則竹裕之のドラムは、いまも進化の途上にある。


基本プロフィール

項目 内容
氏名 則竹裕之(のりたけ ひろゆき)
生年月日 1964年8月27日
出身 大阪府生まれ・兵庫県川西市育ち
血液型 AB型
身長 170cm
最終学歴 神戸大学(在学中にプロデビュー)
主な所属 T-SQUARE(1985〜2000年)/Synchronized DNA/アカサカトリオ
教育活動 昭和音楽大学講師

ドラムとの出会い

則竹裕之の音楽的原点は、父親がジャズドラマーだったという家庭環境にある。幼い頃から家の中にドラムの音が自然に存在していた。★★

しかし少年時代の則竹は、ドラムに一直線だったわけではない。子どもの頃の習い事は茶道。中学時代はサッカー部に所属し、打楽器とは無縁の青春を送っていた。★★

ドラムを本格的に始めたのは高校時代のことである。父のジャズドラムという「音の記憶」が、思春期を経てようやく本人の内側から湧き上がってきたのだろう。ここから則竹のドラマー人生は一気に加速する。★★


活動の転機

河口湖バンドセミナー——神保彰との運命的な出会い

高校3年のとき、則竹はCASIOPEAを講師に迎えた河口湖での3泊4日のバンドセミナーに参加する。そこで則竹は、神保彰のドラムセットを借りてCASIOPEAの名曲「ASAYAKE」を演奏した。★★

この演奏について、神保彰自身が後に「参加者の中で圧倒的に上手かった」と証言している。★★

高校生がプロの機材で、プロの楽曲を、プロの目の前で叩く。その勇気と実力が、後の人生を決定づけた。この河口湖での邂逅が、のちに則竹と神保を「Synchronized DNA」というツイン・ドラムユニットで結びつけることになるとは、当時の二人は知る由もなかった。

神戸大学在学中——THE SQUAREへの加入

神戸大学に進学した則竹は、アマチュアバンド「パーティー・ジョーク」でドラムを叩いていた。1985年、スカウトされる形でTHE SQUARE(現T-SQUARE)に加入。大学生のままプロデビューするという異例の経緯だった。★★

T-SQUAREでの在籍期間は15年に及び、その間に日本ゴールドディスク大賞JAZZ部門を10度受賞。日本フュージョンシーンの黄金期を、則竹のドラムが支えた。★★


ドラマーとしての特徴

則竹裕之のドラミングの核心は、本人が公式サイトで語る以下の言葉に集約される。

「生ドラムが持つ骨太さや繊細さ、ダイナミクスと無限の表現力」★★★

「アコースティックドラムの音を表現力としてコントロールし、正確に録音すること」★★★

フュージョンドラマーとして高度なテクニックを持ちながら、則竹が一貫して追求するのは「アコースティックドラムの生の音」をいかに表現力に変換するかという命題である。デジタル技術が進化し、打ち込みやエレクトリックパッドが当たり前になった時代において、「生ドラムの骨太さと繊細さ」を核に据える姿勢は、職人的でありながら哲学的でもある。

さらに則竹は、自身のドラミングを「声(voice)」という言葉で表現している。

「自身の『声:voice』を求め続ける」★★★

ドラムは楽器であると同時に、則竹にとっては「自分自身の声」そのものなのである。


キャリア年表

出来事
1964年 大阪府に生まれる。兵庫県川西市で育つ
高校時代 ドラムを本格的に開始
高校3年 河口湖バンドセミナーに参加。神保彰のキットでCASIOPEA「ASAYAKE」を演奏
1985年 神戸大学在学中にTHE SQUARE(現T-SQUARE)に加入。プロデビュー
1985〜2000年 T-SQUARE在籍。日本ゴールドディスク大賞JAZZ部門10度受賞
2004年 神保彰とツイン・ドラムユニット「Synchronized DNA」結成
2010年〜 平原綾香のサポートドラマーとして参加
2022年 アカサカトリオ結成
2024年 還暦。28年ぶりにPearlへ復帰

ターニングポイント

還暦とPearlへの帰還——28年ぶりの決断

則竹裕之のドラムセット遍歴は、そのままキャリアの変遷を映し出している。

Pearl → SONOR → TAMA → YAMAHA → SAKAE → Pearl★★★

2024年、還暦を迎えるにあたり、則竹は28年ぶりにPearlへ復帰するという決断を下した。Pearl「Masters Maple/Gum」セットを試奏した則竹は、こう語っている。

「ウォームでありながらソリッド。まさに思い描いていた理想のサウンドとタッチ」★★★

「己の可能性を信じたい」★★★

60歳。キャリア約40年。普通なら「完成された音」に安住してもおかしくない年齢で、メーカーを変えるという行為は、自らのサウンドを根本から問い直すことを意味する。それを「己の可能性を信じたい」という言葉で表現する則竹の姿勢に、ドラマーとしての矜持と覚悟がにじむ。

28年という歳月を経て同じメーカーに戻ったことは、単なる「復帰」ではない。螺旋状に上昇しながら原点に立ち返るという、円熟のドラマーにしか描けない軌跡である。


使用機材

ドラムキット

メーカー モデル 用途 信頼度
Pearl Masters Maple Pure レコーディング・ライブ ★★★(本人公式サイト)

※Pearl公式エンドースページ等で確認。2024年より使用。

シンバル

未確認(要調査)。変遷があることは把握しているが、現在のエンドース契約・使用モデルについて公式一次情報での確認が取れていないため、記載を控える。

スティック

未確認(要調査)。

その他

未確認(要調査)。


主な参加プロジェクト・作品

プロジェクト 期間・備考
T-SQUARE(THE SQUARE) 1985〜2000年。正式メンバーとして15年間在籍
Synchronized DNA 2004年〜。神保彰とのツイン・ドラムユニット
アカサカトリオ 2022年〜
平原綾香(サポート) 2010年〜
昭和音楽大学(講師) 後進の指導にあたる

影響を受けたドラマー・音楽

父親がジャズドラマーであったことから、幼少期よりジャズのリズムが身体に刻まれていたと推察されるが、具体的に影響を受けたドラマー名や作品についての一次情報は現時点で確認できていないため、記載を控える。


エピソード

茶道少年からフュージョンの頂点へ ★★

子どもの頃の習い事が茶道、中学はサッカー部という経歴は、フュージョン界屈指のテクニシャンの少年時代としては意外性に満ちている。打楽器に触れていなかったからこそ、高校でドラムを始めた時の爆発的な成長があったのかもしれない。

神保彰のキットで「ASAYAKE」★★

河口湖バンドセミナーで、講師である神保彰本人のドラムセットに座り、CASIOPEAの代表曲「ASAYAKE」を演奏するという大胆さ。その演奏を聴いた神保が「圧倒的に上手かった」と認めたことは、則竹の才能を証明する決定的なエピソードである。約20年後、二人はSynchronized DNAとして同じステージでツイン・ドラムを叩くことになる。

大学生のままプロデビュー ★★

神戸大学在学中にTHE SQUAREに加入するという経緯は、当時の日本のフュージョンシーンにおいても異例中の異例だった。アマチュアバンド「パーティー・ジョーク」での演奏がスカウトにつながったとされる。

6社を渡り歩いたドラムセット遍歴 ★★★

Pearl→SONOR→TAMA→YAMAHA→SAKAE→Pearl。日本を代表するドラマーが、6つのメーカーのキットを経験していること自体が稀有であり、それぞれの時期のサウンドの違いを知る則竹のドラムへの解像度の高さを物語っている。


Drummer JAPAN 人気投票2025 での扱い

順位・得票数の情報が提供されていないため、確認次第追記する。


所属バンド/所属変遷

期間 所属・活動 最終確認
高校〜大学 アマチュアバンド「パーティー・ジョーク」 Wikipedia等 ★★
1985〜2000年 THE SQUARE → T-SQUARE(正式メンバー) Wikipedia等 ★★
2004年〜 Synchronized DNA(神保彰とのユニット) 複数媒体 ★★
2010年〜 平原綾香サポート 複数媒体 ★★
2022年〜 アカサカトリオ 複数媒体 ★★
現在 昭和音楽大学講師 複数媒体 ★★

編集部より

則竹裕之という名前を聞いて、多くの人がまずT-SQUAREを思い浮かべるだろう。それは正しい。しかしこの記事で伝えたいのは、T-SQUAREの「元ドラマー」としての則竹ではない。

茶道を習い、サッカーに明け暮れた少年が、高校でドラムに出会い、わずか数年でプロになった。河口湖で神保彰のキットに座った瞬間から始まった物語は、40年を経てなお「己の可能性を信じたい」という言葉で更新され続けている。

6つのドラムメーカーを渡り歩き、還暦で28年ぶりにPearlへ戻った。この選択は「懐古」ではなく「更新」だ。Masters Maple Pureを前にして「理想のサウンドとタッチ」と語った則竹の言葉には、60歳のドラマーが発する「まだ変われる」という静かな確信がある。

「自身の『声:voice』を求め続ける」。この一文に、則竹裕之のすべてが詰まっている。ドラムは叩くものではなく、歌うものだ。Drummer JAPANは、その歌声をこれからも記録し続ける。


出典

No. ソース 信頼度 備考
1 則竹裕之 本人公式サイト ★★★ 機材情報・ドラム哲学の引用元
2 Pearl公式サイト アーティストページ ★★★ エンドース情報・Masters Maple Pure使用の確認
3 Wikipedia「則竹裕之」 ★★(参考扱い) 基本プロフィール・経歴の参照
4 各音楽媒体(ドラムマガジン等) ★★ 河口湖セミナーエピソード・神保彰の証言等

今後追記予定の情報

項目 状況
【影響を受けたドラマー・音楽】 具体的なドラマー名・作品名について一次情報を確認中
【シンバル・スティック等の使用機材詳細】 現在のエンドース契約・使用モデルについて公式情報を確認中
【Drummer JAPAN 人気投票2025の順位・得票数】 情報提供待ち

【編集部より】則竹裕之さんに関する情報(ライブレポート・インタビュー・機材目撃情報など)をお持ちの方の情報提供をお待ちしています。特に、ご本人が影響を受けたドラマーや音楽について語られたインタビュー記事をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。このアーカイブは継続的に更新していきます。


最終確認:2026-04-20


このページはDrummer JAPANが独自に制作したドラマーアーカイブです。情報は随時更新します。

横井ジン
横井ジン
https://drummerjapan.com/
映像ディレクター / Drummer JAPAN編集長 TVディレクターを経て2005年より本メディアを主宰。映像制作のプロとして、また一人のドラマーとして、偉大なプレイヤーたちの軌跡を映像で後世に遺すプロジェクトを牽引。生涯、映像とドラムと共に。

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