五十嵐公太(いがらし こうた)は、日本のロック史に燦然と輝く伝説のバンド「JUDY AND MARY」のドラマーとして一時代を築き、類まれなポップセンスと確かなテクニックで数々の名曲を支えた日本を代表するドラマー。 バンド解散後も、水樹奈々や大塚愛、GACKTといった多彩なメジャーアーティストから絶対の信頼を寄せられるセッション・ドラマーとして活躍し、また洗足学園音楽大学での講師活動など、後進の育成や打楽器音楽の普及においても極めて大きな足跡を残している。
基本プロフィール
| 氏名 | 五十嵐公太(いがらし こうた) |
| 公式ローマ字表記 | Kohta Igarashi |
| 生年月日 | 1963年1月17日(★★★) |
| 出身 | 神奈川県川崎市(★★★) |
| 担当 | ドラムス、作曲 |
| 主な所属バンド | JUDY AND MARY (1992-2001) |
| レーベル | エピックレコードジャパン 等(★★★) |
| エンドーサー | Pearl, SABIAN, Roland(★★★) |
| 公式サイト | (各マネジメント等準拠) |
ドラマーとしての特徴と影響
彼のドラムスタイルの最大の特徴は、「テクニックに裏打ちされたポップな歌心」である。 JUDY AND MARY時代に確立されたそのプレイスタイルは、YUKIのボーカルや恩田快人・TAKUYAの生み出す強烈なバンドサウンドと拮抗し、複雑なキメやシンコペーションを完璧に処理しつつも、決してリスナーを置いてけぼりにしない「キャッチーなグルーヴ」を持っていた。 また、プレイヤーのみならず「散歩道」などの大ヒット曲の作曲も手掛けるなど、ソングライターとしての視点を持ったフレージング構築能力が、彼のドラミングを唯一無二のものとしている(★★★)。
使用機材機材とイノベーション(★★★)
アコースティックドラムとしてPearl(パール)、シンバルとしてSABIAN(セイビアン)を長年エンドースしているが、五十嵐公太の機材面における最大の貢献は「電子ドラム(Roland V-Drums等)の積極的なライブ導入」である。 90年代当時から生ドラムと電子パッドを組み合わせたハイブリッド・セッティングを先駆的に大舞台で実用化し、サンプリング音源やシンセベースを足元でトリガーするなど、ドラムセットを「単なる打楽器」から「総合的な電子楽器のコントロールステーション」へと拡張させたパイオニアの一人である。
キャリアの幅広さと教育への貢献(★★★)
ジュディマリ解散後は、デーモン閣下から水樹奈々まで、ロック、アニメソング、ポップスを問わずあらゆるスタジアム級の現場でボトムを支え続けている。 これほどのキャリアを持ちながらも、教育活動に非常に熱心であり、洗足学園音楽大学での後進育成や、観客参加型の「ドラミングハイ!?」といった打楽器エンターテインメントプロジェクトを主催するなど、ドラムという楽器の楽しさを一般に広める活動に精力的に取り組んでいる。
所属変遷
| 期間 | 所属/活動形態 | 備考 |
| 1992年〜2001年 | JUDY AND MARY | 国民的バンドのドラマーとして活躍 |
| 2001年〜現在 | セッションドラマー/教育者 | 洗足学園講師など多方面で活躍 |
一言紹介
JUDY AND MARYからトップセッションまで、テクニックと歌心で日本中を躍らせるレジェンド・ドラマー。
出典
- 各種公式プロフィール・Wiki (★★★)
- Pearl / SABIAN エンドースメント情報 (★★★)
未確認情報
- 直近の細かなセッティング変更等調査中(★)
JUDY AND MARYという巨大な現象の中で培われたバンドアンサンブルの極意は、その後の様々なセッションワークにおいても遺憾なく発揮され、どんなボーカリストの背中をも安心させる圧倒的な安定感を生み出している。
JUDY AND MARY解散後――セッションドラマーとしての多彩な活動
2001年のJUDY AND MARY解散後、五十嵐公太はスタジオミュージシャンとして膨大なキャリアを積み上げた。GACKT、ORANGE RANGE、水樹奈々、大塚愛、デーモン閣下、大槻ケンヂ、KinKi Kidsなど、ジャンルや世代を超えた多数のアーティストのレコーディングおよびツアーサポートに参加。「誰のサウンドにも自在に溶け込む」適応力の高さが、トップアーティストから繰り返し指名を受ける理由だ。また、ガイドウの金子英徳とのバンドATOMIC POODLEや、ヴァイオリンとドラムのデュオ「Rala no Pokke」(2023年結成)など、常に新しい音楽的チャレンジを続けている。
ハイブリッドドラムのパイオニア
五十嵐公太が日本の打楽器シーンに残したもう一つの功績が、アコースティックドラムと電子ドラムを組み合わせた「ハイブリッドセットアップ」の先駆的な導入だ。1990年代のJUDY AND MARY時代にすでにRoland V-Drumsとサンプリングトリガーをライブセットに統合し、ドラムキットをデジタル音源のコントロールステーションとして機能させていた。この手法はRolandが後に積極的に推進するアプローチの先例となっており、日本のポップス・ロックシーンにおける電子打楽器活用の可能性を早期に示した点で、五十嵐の先見性は際立っている。
洗足学園音楽大学での後進育成
演奏活動と並行して、五十嵐公太は洗足学園音楽大学(ロック&ポップスコース)でドラム講師を務め、次世代のドラマーを育成している。さらにMMRomms Music Schoolを設立し、音楽大学での指導と並行して自身の音楽スクールでも教鞭をとる。「技術の習得」と「音楽的表現の開発」を両立させる指導スタイルは、プロ志望の若手ミュージシャンから高い支持を得ており、演奏者・創作者・教育者という三つの顔を持つドラマーとして今も走り続けている。
作曲家としての側面――「散歩道」が証明するもの
五十嵐公太はドラマーであると同時に、JUDY AND MARYの楽曲において作曲者としての実績も残している。その代表例が「散歩道」だ。ドラマーが楽曲そのものを生み出す存在であることを示したこの事実は、五十嵐を「リズムを刻む職人」という枠を超えた音楽家として位置づける根拠となっている。ビートの設計者として、また旋律の書き手として、彼がバンドに貢献した幅の広さは、JUDY AND MARYというバンドの多様性そのものを体現していた。日本のポップロック史において、ドラマーが楽曲制作の核に座っていたという事例として、五十嵐公太の名前は繰り返し参照されるべきだろう。ドラムという楽器を通して時代を動かした男の記録は、まだ続いている。
スティックを握り続けて60年。川崎が生んだこのドラマーの物語は、演奏家・創作者・教育者という三つの軸が交差するところに、確かな輝きを持って存在している。
このページはDrummer JAPANが独自に制作したドラマーアーカイブです。情報は随時更新します。