Drummer JAPAN DRUMMER ARCHIVE
横井ジン
ドラマー / 映像ディレクター / Drummer JAPAN主宰
15歳でドラムに出会い、22歳でいったん封印した。その後、映像ディレクターとしてテレビ・Web・配信の現場を歩き、V-Drumsとの再会をきっかけにDrummer JAPANへたどり着いた。横井ジンの歩みは、ドラムを「叩く」だけでなく、文化として記録するための道のりでもある。
プロフィール
本文内で確認できる情報を中心に整理しています。未確認の項目は断定せず、要確認として残します。
- 名前
- 横井ジン / 横井仁
- 活動名
- 横井ジン
- 拠点
- 横浜(ページタグ・指定情報より)
- 役割
- ドラマー、映像ディレクター、Drummer JAPAN主宰
- 主な活動
- Drummer JAPAN運営、ドラム文化の記録、映像制作、Web制作、配信活動
- ドラム歴
- 要確認(15歳でドラムに出会い、22歳で一度封印。2005年にV-Drumsで再開)
- 影響
- The Beatles、Deep Purple、Rainbow、Ritchie Blackmore
- 関連人物
- 太田明、五十嵐公太(本文で触れられている範囲)
- 関連メディア
- Drummer JAPAN、v-drums.org、YouTube、ツイキャス、ニコニコ生放送
- 法人
- ディープラス株式会社(2002年設立)
- 最終確認
- 2026年4月19日
要確認:出生地、正式な現住所表記、現在の詳細なドラム歴、最新機材の詳細スペック、各活動リンクの最終URL。
写真で見る、横井ジンの現在地
ページ内で使える既存画像を、人物像と活動領域が伝わるように再編集しています。
補足:ここでは既存サイト上で確認できた画像のみを使用しています。未確認の人物写真や生成した顔写真は追加していません。
3つの顔が、ひとつの仕事に集まっていく
ドラマーとしての横井ジン
幼少期の音楽体験を経て、15歳でThe Beatlesに衝撃を受け、ドラムへ向かった。スネアとキックペダルを自分で手に入れ、高校時代にはDeep Purple / Rainbowのコピーバンドに没頭する。
- 15歳前後、ドラムを自分の楽器として選ぶ。
- Deep Purple / Rainbow、Ritchie Blackmoreの美学に強く影響を受ける。
- 22歳でプロドラマーの道を一度封印する。
- 2005年、V-Drumsとの再会でドラムへ戻る。
映像ディレクターとしての横井ジン
1984年にテレビ業界でADとしてキャリアを始め、1988年にディレクターへ。現場で台本を書き直す必要からPCを学び、映像編集、Web制作へと領域を広げていった。
- TBS、テレビ朝日、日本テレビ、テレビ東京、フジテレビ、NHK BSなどの番組制作に関わる。
- 1999年、ノンリニア編集・Adobe Premiere Pro講師として映像教育にも携わる。
- 2002年、ディープラス株式会社を設立。
- 映像、編集、Webを自走できる基盤を築く。
Drummer JAPAN主宰としての横井ジン
v-drums.orgでV-Drumsの拡張や防振対策を発信し、同じ悩みを持つドラマーたちが集まった。その流れがDrummer JAPANへ発展し、日本のドラマー文化を記録する場になっていく。
- ドラムの実感と、映像ディレクターの視点を両方持っている。
- ドラマーを「情報」ではなく「ストーリー」として残す。
- Web、配信、動画、AIを組み合わせ、一人で記録を継続する体制を作る。
- 「スティックを握って志した瞬間から、あなたはドラマー」という哲学へつながる。
ドラムとの出会い
幼稚園からYAMAHAの音楽教室に通い、小学校でピアノを本格的に習い始めた。バイエル下巻を修了し、音楽クラブでは副部長、そして部長へ。先生にも親にも国立音楽大学附属中学への進学を勧められ、その気になっていた少年の人生が根底から変わったのは、ある12月24日のことだった。
テレビに映るThe Beatlesを家族で見ていた、その瞬間だった。クラシックを習わせておいた親が、こんな前衛的な音楽を見ている。そのカルチャーショックから、人生で初めて親に逆らった。国立音大附属中学の受験を断固拒否し、「なんとかROCKの道に行ってやるぞ」という作戦が始まった。
しかし、いきなりドラムは難しかった。青少年吹奏楽団に入りトランペットを試したが、しっくりこなかった。次に親へギターを懇願したが、それも馴染めなかった。そんな試行錯誤の中で横井が選んだのは、こっそりとスネアドラムを購入するという方法だった。続いてキックペダルも貯金で手に入れた。どちらも厳格な父親に内緒で、自分の部屋に隠した。
「意外にもすんなり叩けた。これはいけるな、という感触がありました。この楽器にかけてみようと」
当然ながら父親にはバレた。しかし横井の決意は変わらなかった。その感触は単なる「向いているかもしれない」という予感を超えていた。思春期の霧の中でぱっと明かりが灯るような、自分という人間の方向性を感じた瞬間だった。
ドラムを手にした横井が向かったのは、高校でのバンド活動だった。Deep PurpleとRainbowのコピーバンドに没頭し、ステージでスティックを振るう日々。憧れの中心にいたのはギタリストのRitchie Blackmoreだった。その影響はプレイスタイルにとどまらず、黒い服を身につける美学にもつながっていった。
横井ジン 年表
現ページ本文で確認できる情報を、スマートフォンで追いやすい縦型の時間軸に整理しました。
YAMAHA音楽教室とピアノ
幼稚園からYAMAHA音楽教室に通い、小学校でピアノを習う。音楽クラブでは副部長、部長を経験。
The Beatlesとの出会い
テレビでThe Beatlesを見た衝撃から、クラシックではなくROCKの道へ向かう。
Deep Purple / Rainbowへ傾倒
コピーバンドに没頭。Ritchie Blackmoreの美学が10代の横井ジンに強く刻まれる。
ドラマーの道を一度封印
プロになる現実的な道が見えず、音楽への扉を完全に封印し、テレビ業界へ進む。
テレビ業界でキャリア開始
TBS「アッコ・古舘のゆうYOUサンデー!」「時事放談」でアシスタントディレクターとしてスタート。
「アッコにおまかせ!」AD
TBS「アッコにおまかせ!」のADとなる。
ディレクターへ昇格
テレビ朝日「誘われて二人旅」でディレクターに昇格。
Adobe Premiere Pro講師
ノンリニア編集・Adobe Premiere Proの講師として映像教育にも携わる。
ディープラス株式会社設立
映像制作、編集、Web制作を自走する法人基盤を作る。
V-Drumsとの再会
太田明の家でV-Drumsを叩き、22年間の封印が解ける。v-drums.orgを立ち上げる。
五十嵐公太DVD制作
映像制作の技術とドラマーとしての視点が、ドラム界の仕事として結びつく。
教則DVD映像制作
ドラム界と映像制作の融合がさらに進む。
YouTubeチャンネル開設
映像ディレクターとしての技術を活かし、動画での発信を広げる。
Drummer JAPANを運営
日本のドラマー文化を記録する長期アーカイブとして、Drummer JAPANを運営。
テレビ業界への転身と、映像の土台
夢を持つことと、夢で生きることの間には越えがたい壁がある。22歳のとき、横井はドラマーとしての道を諦めた。プロになる現実的な道が見えなかった。音楽への扉を「完全に封印」し、テレビ業界へと転身する。
1984年、TBS「アッコ・古舘のゆうYOUサンデー!」「時事放談」でアシスタントディレクターとしてキャリアをスタート。翌1985年にはTBS「アッコにおまかせ!」のADとなり、1988年にはテレビ朝日「誘われて二人旅」でディレクターに昇格した。
その後は日本テレビ「進め!電波少年」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」、TBS「ブロードキャスター」、テレビ東京「TVチャンピオン」「愛の貧乏脱出大作戦」、フジテレビ「知らバカ」、NHK BS(番組名非公開)など、本文に記録されている範囲でも多くの番組に関わっている。
この時期、横井はもう一つの武器を身につけていた。現場で台本を書き直す必要に迫られてPCを学んだのが始まりだった。映像編集ソフトの習得、ウェブサイトの自作へ。v-drums.orgもdrummerjapan.comも、外注ではなく横井自身の手で立ち上げられている。
22年間の封印から、Drummer JAPANへ
「遠回りをしたようですけれども、決してそうではない」
2005年、横井は弟の家を訪ねた。弟は太田明、元筋肉少女帯のドラマーだ。そこでV-Drumsを叩かせてもらったことが、22年間閉じていたものを一気に開いた。
1週間後、彼はイケベ楽器池袋店へ向かい、Roland TD-50とPearl Reference Pureによるハイブリッドセットを組み上げた。「一気に封印が解けて止まらない」。その感情の奔流が、v-drums.org、そしてDrummer JAPANへつながっていく。
機材情報
本文内で確認できる機材情報のみを整理しています。詳細スペックは確認中です。
詳細機材リストは確認中です。今後、現在のドラムセット、モジュール、パッド、シンバル、ペダル、防振環境を追記できるカード構成にしています。
配信・メディア活動
ウェブサイトにとどまらず、横井は複数のプラットフォームでドラム文化の発信を続けてきた。ニコニコ生放送ではコミュニティ(co481620)を開設し、ライブ配信を展開。同サービスは2024年8月のサイバー攻撃によりサービス終了となったが、そこで育まれたコミュニティ文化はDrummer JAPANの礎となった。
ツイキャス(@drummerjapan)では「電子ドラム セットアップ」「お酒とドラムと雑談」「DTM学習配信」など、ドラマーの日常に寄り添うコンテンツを配信(現在お休み中)。YouTubeチャンネルは2014年に開設し、映像ディレクターとしての技術を活かした動画を展開している。
ドラム、映像、Web、AIが統合される場所
Drummer JAPANは、単なるプロフィール集ではない。叩く人の感覚、映像で残す技術、Webで届ける仕組み、配信で育ったコミュニティが重なってできた、ドラマー文化の記録装置である。
映像とドラムの融合へ
決定的な転機は2008年に訪れた。五十嵐公太のDVD制作を監督する機会を得たのだ。テレビ業界で20年以上磨いてきた映像制作の技術と、封印を解いて取り戻したドラマーとしての視点が、スタジオのなかで初めて一つになった瞬間だった。
「叩く側」ではなく「記録する側」として、日本トップクラスのドラマーと向き合う。22歳で諦めた夢が、まったく違う形で実現していた。この仕事を機に、プロドラマーたちとの交流が広がり、Drummer JAPANの方向性が明確になっていく。
ドラマーを「記録する」のではなく、ドラマーの「ストーリーを可視化する」。映像とドラムの融合。それがDrummer JAPANの核心であり、横井ジンという人間にしかできない仕事だという確信が、ここで生まれた。
1984年のAD時代から積み上げた映像制作の技術、台本の書き直しから始まった自走力、ディープラス株式会社という法人基盤、ニコ生・ツイキャス・YouTubeで育てたコミュニティ。すべてが「日本のドラマー文化を映像で残す」という目的のための布石だったと、今ならはっきりわかる。
「スティックを握って志した瞬間から、あなたはドラマー」。この言葉を誰よりも体現しているのは、Drummer JAPANの主宰者自身だ。
関連導線
既存URLを確認できるものだけリンク化し、不明なものはリンク要確認として残しています。
最終確認:2026年4月19日。このページはDrummer JAPANが独自に制作したドラマーアーカイブです。情報は随時更新します。